奈良がまだ平城京として
日本の首都であったころ
聖武天皇の詔によって
全国各地に国分寺、国分尼寺がおかれました。
平城京の東の外側を外京と言って
この東大寺が建立され
大和国分寺として
また全国70余か国の
総国分寺としての役割を担っていました。
華厳宗の大本山で
南大門に掲げられている額は
「大華厳寺」とあります。
完成当初は
南大門の後方左右に
高さ推定100mもの七重塔がそびえたち
他にも多くの伽藍があったものの
度々の兵火などで焼失し
建物のほとんどは再建されたもので
現在のような形になったのは
江戸時代の初め頃だそう。
南大門の左右には
向かって左が
息を吐き手を開いた阿形。
右は
息を吸い指を結んだ吽形で
阿吽の呼吸で東大寺を守っているのです。
他の寺院では
金剛力士像は南を向くのが常ですが
東大寺では向かい合わせ。
鎌倉時代の仏師・運慶と快慶らの
合作である金剛力士像は
武士の時代を反映するがごとく
男性的で力強く
筋肉の盛り上がりや恐ろしい形相など
迫力に満ちています。
金堂(大仏殿)前では
3連休の間
歌手のコンサートが行われていたとかで
特設ステージや照明などを片付けていました。
大仏殿もやはり
江戸時代の再建で
創建当初と比べると
大きさは縮小されていますが
それでも木造としては
世界最大の古建築物です。
全国の国分寺の代表という位の高いお寺は
大仏殿に限らず
何もかもが大きく立派です。
噂では
大仏様は賑やかなことが好きらしく
さだまさしさんをはじめ
布袋寅泰さん、ドリカムなどのコンサートが
奉納(?)されています。
聖武天皇の熱烈な信仰によって造られた
永遠不滅の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は
「奈良の大仏さん」と親しまれています。
背後にまわれば
七重塔を持っていたころのジオラマや
東北隅の柱の下には
大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴があり
くぐりぬけると
鼻から抜けるように利口になる、とか。
奈良公園一帯では
鹿がたわむれ…
公園内の春日大社の神様は
茨城の鹿島神宮から
鹿に乗ってやってきたんだそう。
神様の使いなので
大事にされてて人懐っこい♡
都が京都へ遷った後も外京は
藤原氏の氏寺である興福寺や
同じく氏神である春日大社が勢いをつけ
衰えることが無かっことから
京都から見て南にある「南都」と
呼ばれるようになったのです。
奈良公園は
猿沢池や若草山などの
美しい景観に囲まれ
木々の間には鹿の姿
多くの社寺や博物館があり
1日過ごせそう…