い!「伊香保温泉 日本の名湯」
…上毛かるたです。
赤城山、妙義山とともに
上毛三山の1つである榛名山はるなさん山腹
標高800mに位置する群馬県渋川市伊香保町。
古くは万葉集にも詠まれた湯の街で
石段を中心としたたたずまいは
古き良き温泉情緒に溢れています。
伊香保温泉の名所となっている石段。
伊香保温泉のシンボルである石段が誕生したのは
1576天正4年頃。
織田信長、徳川家康連合軍に敗れた武田勝頼が
長篠の戦による多くの負傷者の治療のため
上州を支配していた真田昌幸に命じ
温泉を利用した療養場を整備させたのが
起源となっています。
石段中央に湯樋を造り配湯していたようで
現在は石段の途中途中に小間口観覧所があり↓
各旅館へ引き湯される様子が分かります。
江戸時代には
十二支を屋号とした12軒の宿が権利を与えられ
明治維新まで年の順番で
名主や伊香保口留番所(伊香保御関所)の
役人を勤めていたそう。
旅館のあった場所の石段には
十二支の絵のプレートが埋め込まれています。
現在の石段は
1980昭和55年から
5年がかりで大改修した御影石製。
1段目から最上部の伊香保神社まで365段というのは
温泉街が1年365日賑わうようにとの願いから。
山形県の山寺と
香川県の金比羅山と共に
日本3大石段とされています。
江戸と越後を結ぶ三国みくに街道の
脇往還の関所が置かれたところでもあり
伊香保口留番所(伊香保御関所)が復元され
往時を偲ぶことができます。
向かい側には「ハワイ公使別邸」。
想像してたのと違ってめっちゃ和風だった。
明治から大正期には
東京から近い避暑地として利用され
美人画で一世を風靡した竹久夢二や
童話作家の野口雨情らも訪れました。
なかでも
徳富蘆花の小説「不如帰ほととぎす」は
伊香保温泉を舞台としており
伊香保の名はますます広く世に知られるように。
街のところどころには
文人ゆかりの宿や歌碑があり
足跡を巡るのも
伊香保温泉でのお楽しみの1つ。
また伊香保には
日帰りの浴場もいくつかあり
こちらは石段の途中にある
「石段の湯」400円。
石段の湯前から振り返って見下ろすと
こんな感じ。
あとまだ300段弱???
遊技場があったり
射的や輪投げなど。
足湯もありました。
某お宿が無料で提供しているようです。
タオルは持参しないとね?
小間口では
勢いよく茶色いお湯が流れています。
400年前からの源泉は
「黄金(こがね)の湯」と呼ばれ
毎分4000ℓの湧出量があり
およそ30の施設が権利を持ち
湯樋を使って温泉を引いています。
近年は
無色透明の源泉
「白銀(しろがね)の湯」が発掘され
これを利用している施設も
30ほどあるのだとか。
戦国時代に
整然とした温泉街が造られたことを記す
“我国温泉都市計画 第一号の地”の碑。
裏側↓
そ・し・て・!!!!
これは気付いてほしい↓
伊香保の街 大正4年 与謝野晶子
榛名山の一角に、段また段を成して、
羅馬時代の野外劇場の如く、
斜めに刻み附けられた 桟敷形の伊香保の街、
屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、
すべてが温泉宿である、そして榛の若葉の光が
柔かい緑で 街全體を濡らしてゐる。
街を縦に貫く本道は 雑多の店に縁どられて、
長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、
Hの字を無数に積み上げて、
殊更に建築家と繒師とを喜ばせる。
とありました。
与謝野晶子が見た伊香保の温泉街と
今もそれほど変わっていないのでしょうね。
最上階の伊香保神社が見えてきました。
足元のマンホールは「頭文字イニシャルⅮ」。
タイトルは知っていますよ^^
↓石段を振り返る。
鉄泉飲めます!
参拝終わったし
目的の温泉まんじゅうやさんへ
向かいます^^
鳥居の横にあるのが「松月堂」。
日本で初めて
温泉まんじゅうを考案したお店で
「湯の花まんじゅう」として売り出したとか。
お店にあったマップ↓
レジ袋有料で
お饅頭は単品120円から販売可です。
昔ながら(100年前から)の製法で
保存料を使っておらず賞味期限は2日。
黒糖を使って伊香保の温泉の色を表現してます。
甘さ控えめのこし餡でした。
こちらにお世話になりました^^
群馬県 伊香保【公式サイト】伊香保温泉 福一|創業400年の歴史
お風呂↓パンフレットからです
黄金の湯を引き湯しています。
鉄分が多いので
湧きだすと酸化して茶色くなります。
食後のデザートは…
豆腐かなんか入ってる?ような
黒蜜がけのプリンでした^^