富山県射水市に
係留保存されている初代・海王丸。
まず「射水いみず」という読み方には
ちょっと悩みました。
市のページによれば
「射水」の地名は、古くから書物や地図にその名が記されるなど、長い歴史を持つ由緒ある名前です。
射水市は、富山県を代表する大河である神通川・庄川の間に広がる射水平野の大部分を占めています。射水平野は中小の河川や地下水に恵まれた土地として古くから栄えてきました。古代の人々は、水の湧出をあらわす言葉「イ」・「ミズ」にちなみ、この地を「イミズ」と呼んだと考えられます。
平安時代に完成したとされている地方の豪族などの系図をまとめた書物『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』に、伊弥頭(イミズ)という行政区域を支配した豪族「伊弥頭国造(いみづのくにみやつこ)」がいたと記されています。
また、行政区域としての「射水郡」という地名は、奈良時代を代表する歌人、大伴家持がまとめたとされる『万葉集』の中で初めて登場します。
漢字の「射水」という地名は、奈良時代から使われ始めました。当時の様子を伝える歴史書『続日本紀(しょくにほんぎ)』によると、713年に朝廷が「畿内(近畿地方)・七道(北陸道を含む地方)諸国・郡・郷の名前を縁起の良い字に改めよ」との命令を出したといいます。この命令が出されたころ、それまで「伊弥頭」・「伊美都」などさまざまだった地名表記が「射水」に統一されたと考えられています。
万葉の頃からの歴史のある名だったのですね。
立山連峰を望む海王丸パークは
帆船海王丸と新湊大橋との共演で
一枚の絵のようです^^
こんなに美しい場所なのに
今後も係留保存が維持できるのかという
切ない状況が伝えられたばかり。
国家予算で建造された海王丸は
1927昭和2年に起こった
鹿児島県立商船水産学校の練習船・霧島丸の
大惨事がきっかけでした。
そしてこの船
どこかで見たことあると思ったら…
横浜の日本丸と姉妹船だったのです^^美人姉妹
日本丸と海王丸
2隻の大型練習帆船は
定員168名
全長97.05m
型幅12.95m
もしかしてと思っていたら
神戸市の川崎造船所にて建造!カテゴリー作ろうかな^^
1930昭和5年に進水しています。
海王丸は
1989年の引退まで59年余の間に
地球約50周、146万kmに及ぶ航海と
1万1190名の海の若人が巣立ったそう。
↓メインマスト
4本あるマストの中で一番高く、水面からの高さは46mあります。
下部は35m、上部は18mの鋼鉄製マストでできています。
↓先端が黒く塗られた煙突と救命艇のある甲板
↑煙突のまわりに汽笛
↓操舵室
↓船首のあたり
世界中を航海しててすごい^^
日本の暦も大切に
気分転換にもなるイベントって大事ですよね↓
↓船内のメインマスト
↓実習生居室
8人の実習生がこの部屋で寝起きしていました。狭い部屋ですが、実習生たちには船内で一番落ち着ける場所です。大自然を相手にした6か月の乗船実習で、彼らは船乗りに必要な協調性、規律、責任感を学び取るとともに心身を鍛錬し、立派な商船士官を目指します。
狭いのよ…
↓看護長室
↓病室
↓機関部食堂
↓お洒落な階段
↓船長公室
↓船長私室
↓船長浴室
↓制服も素敵
↓スマホが圏外なんてこともざらなんでしょうね?
↓観光案内の看板を撮影しました笑
海の貴婦人と呼ばれるにふさわしく
海王丸では1年に10回
29枚の帆をすべて広げる
総帆展帆そうはんてんぱんが行われています。
2022年の予定は残り2回
10月16日と11月6日。
明日、晴れるといいですね。