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空へ!宇宙へ!壮大なロマンに思いを馳せる!【岐阜かかみがはら航空宇宙博物館】

各務原市には

航空自衛隊・岐阜基地があります。

 

その飛行場は陸軍時代からのもので

各務原は日本最古の空の街なのです。

 

各務原の街で

たくさんの飛行機が造られてきたことを物語る

「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」。

 

愛称は「空宙博」と書いて「そらはく」となります。

ゲートから建物までは滑走路風のアプローチ。

気分が盛り上がります^^

野外展示には

戦後初めての国産旅客機・YS-11など↓

リニューアルしてからは初訪問

どんな感じに変わったかなーって

気になっていました^^

 

まずは各務原が

航空機産業をスタートさせた

記念すべき飛行機「陸軍乙式一型偵察機」から。

なんだか連載みたいになってるけど

川崎造船所(現・川崎重工業)が

第一次世界大戦時の1918大正7年に

仏・サルムソン社から製造権を取得して国産化した、とあります。

 

飛行機の材料に自然素材というのも

原点を見るようです。

そしてこちらも川崎航空機製・陸軍の飛燕ひえん

1941昭和16年12月に各務原飛行場で初飛行し、1945昭和20年の終戦まで約3,000機が生産された。各務原で一番多く生産された飛行機。主任設計者は、のちに国産旅客機YS-11にも携わることになる土井武夫。当時国内で主流であった空冷エンジンにくらべて空気抵抗を小さくできる液令エンジンを採用したスマートな胴体に、細長い主翼を組み合わせることで、速度と旋回性能の両方を狙った。展示機はエンジンをパワーアップした二型の増加試作機(機体番号6117)で、現存する唯一の二型である。

戦後ほとんどの機体がスクラップにされた中で

この6117号機は

米軍横田基地で展示保存されていたもの。

 

のちに日本航空協会より

知覧特攻平和会館へ貸与され

2015平成27年に各務原へ帰還。

 

川崎重工業・岐阜工場で手直しされ

こちらの博物館にお目見えしているのです。

 

飛燕は

一般財団法人日本航空協会より「重要航空遺産」と認定されました。

以下、「空宙博」のホームページより

認定日   令和5年3月25日(土曜日)
認定対象  三式戦闘機二型「飛燕」
所有者   一般財団法人日本航空協会
認定理由  三式戦闘機二型「飛燕」は第 2 次世界大戦までの日本の航空機開発の技術的到達点を示している。「飛燕」は約3000機が製造されたが、製造当時の姿を残した状態で現存する飛燕は岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の機体だけであり、本機の稀少性は高い。
本機は2015年から2018年に行われた文化財としての修復と調査により、機体各部に80年前に製造された当時のオリジナルの状態を遺していることが確認され文化財的価値は高い。以上の点から、本機は貴重な航空遺産と言える。

重要航空遺産について

歴史的文化的に価値の高い航空遺産を「重要航空遺産」として認定し、その意義を広く社会に知らしめるとともに、後世に遺していくため、「重要航空遺産認定制度」を平成19年に設立。
現在国内で11件認定され、空宙博ではそのうち2機(UF-XS実験飛行艇、X1G1B高揚力研究機)を展示しています。

 

飛燕の燃料タンクは

アルミニウムを節約するために木製ですって。

 

飛騨の良質な木材と

飛騨の匠から続く高い加工技術もあって

燃料を使い切っては投棄していたようです。

 

ダイムラー・ベンツ社とライセンス生産契約を結び

エンジンの製造も国産化↓

土井武夫技師の航空技術専門書など↓

川崎戦闘機トリセツ^^

陸軍大臣・東条英機からの技術有功章↓

対して海軍の戦闘機は

三菱内燃機製造・堀越二郎技師による零戦。

国内最多となる

およそ1万機製造された実寸大の模型↓

採用年である1940昭和15年が

皇紀2600年にあたり下二桁の数字から

式艦上闘機と名付けられていたのでした。

 

映画とかで見るような飛行服↓

博物館の休憩スペースからの飛燕↓

ガラスケースに納められた木の燃料タンク

なかなか驚きでした^^そこか

館内の展示テーマは

人類の夢である宇宙へ続きます。

 

日本のロケット開発の基礎を築いた糸川秀夫教授↓

宇宙への一歩は

まさかこんなに小さかったなんて↓

人類が安全に宇宙へ行くための下調べ的な?

探査機を使って惑星を様々に情報収集↓

地上では得られない

新しい可能性を掴むため

人類は空気の無い宇宙へ旅立つことを

ついに成し遂げました。

 

打ち上げの衝撃に耐え

大気圏突入にも燃え尽きず

太陽の裏側との温度差にも耐え

無事に帰還できる乗り物の開発を!

 

地球と同じように

人間らしく暮らすことができる

宇宙船という名の小さな地球。

国際宇宙ステーション(ISS)は、地上から約400km上空に建設された巨大な有人実験施設。1998年に宇宙での建設が始まり、2011年7月に完成しました。主な役割は宇宙だけの特殊な環境を利用したさまざまな実験や研究を長期間行える場所を確保すること。ISSは条件がそろうと、地上から明るい動く光点として見ることができます。そのとき、私たちの見上げた先には巨大な有人実験施設があり、宇宙飛行士たちがそこで活動しているのです。国際宇宙ステーション(ISS) | JAXA 有人宇宙技術部門

自分が生きてる世界と比べて

壮大過ぎるのですが^^;

素朴な疑問は

国際宇宙ステーション(ISS)での日常生活ですよね?

 

90分で地球を1周するため

90分ごとに日の出が巡ってくるらしい…

 

それでもやはり

1日は24時間として活動するのが自然なのでしょう。

気になる個室とか↓

個室とか…↓

限られた空気や水を循環したり

筋力の低下や精神面への影響など

大変なことだらけということは理解しました^^

 

中部地域(ここでは岐阜、愛知、三重、長野、静岡)

アジアでも最大の航空宇宙産業集積地。

岐阜県だけでも

航空宇宙関連企業は約70社とのことで

いかにモノづくりが盛んな地域であるか。

 

最後はいろんな機体を見て楽しむ^^

三菱T-2高等練習機↓

航空自衛隊の戦闘機パイロットを教育するために開発された、わが国初の超音速ジェット機。本機の開発は三菱重工業を中心に、富士重工業(現・SUBARU)、川崎重工業、日本飛行機、新明和工業が協力し、日本の航空機産業の技術力を結集して行われた。(中略)展示機は航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルー・インパルス」(2代目)に採用され、1995(平成7)年まで使用された。

三菱T-2 CCV研究機↓

様々なデータを集め

後継機の開発に役立っていたようです。

 

この日は

「空飛ぶ船UF-XS展」が開催されていました。

飛行機と船の両方の特徴を持つUF-XSは

陸だけでなく海面にも離着水できる優れもの。

 

米海軍から提供された機体をもとに

開発したのは新明和工業(旧・川西航空機)で

飛行艇開発の歴史を伝える重要航空遺産です。

船首の下は船底を思わせますね↓

もう書くのがしんどいから勝手に読まれたい^^

飛行艇の研究は大きな成果をもたらし

現在では後継のUS-2などが海上自衛隊で

ほか

世界でも人命救助に導入されているとかで

日本の技術が高く売れますように!!!

 

☆おまけ

リニューアル前の画像が残ってました^^

 

野外展示はほぼ同じようですが

館内は今よりもごちゃごちゃしてますね^^

岐阜かかみがはら航空宇宙博物館はこちら↓