奈良県内には
「今井町」という名の町が
大和郡山市、橿原かしはら市と五條市の3市にありますが
今回は
今も昔ながらの面影が色濃く残る橿原市今井町を取り上げました。
まず橿原市は
奈良市に次いで県下第2位の街で
耳成山みみなしやま、天香久山あまのかぐやま、畝傍山うねびやまを市域に持ち
これら大和三山を取り入れた大規模な藤原京が営まれ
三山の中央あたり現在は史跡・藤原宮跡となっています。
西の畝傍山麓には神武天皇陵や
日本建国の伝承にちなんで橿原神宮が鎮座し
古い土地柄であることがうかがえます。
今井町は神武天皇陵の北約1kmほどのところにあり
天文年間(1532∼1555年)
御坊「称念寺」を中心とした一向宗の寺内町として形成されました。
濠で取り囲まれた町すべてが境内という城塞都市で
門徒らは自衛のための武力を養い織田信長に抵抗。
のちに
明智光秀や津田宗及
今井町生まれの茶人・今井宗久を通じて降伏し
町を守りました。
信長からは赦免されると
町民が力を持ち
近在の富豪らが移り住み
大阪や堺などと交流が盛んになり
堺と同じく自治権をもつ商業の街へと展開します。
あらゆる商売が行われ
江戸時代には藩札同等の信用がある
独自の「今井札いまいさつ」が発行されたほど。
「大和の金の七分は今井にあり」といわれ
大いに繁栄した町並みは
重要伝統的建造物群保存地区として美しく保たれ
まるで江戸時代に来たかのような景観で
訪れる人を迎え入れてくれるのです。
そんな今井町を散策するにあたり
事前学習できるところが
「今井町まちなみ交流センター華甍はないらか」見学無料です。
破風を設けた玄関を中心に
左右対称に翼廊が置かれています。
雨風を除ける軒を出して
多用された引き違い窓の上部ははめ殺しです。
窓枠の白いふちどりと
白い外壁に腰板を張るのが
なんとなく異文化な感じ?
1903明治36年の建築で
左の門柱には「旧高市郡教育博物館」とあります。
当時は和洋折衷の斬新な博物館だったのでしょう。
中に入ると
正面には2階への階段がありますが立ち入り禁止でした。
アルコール消毒と検温を済ませ
通行手形を発行していただきました^^
今井町全体が分かります。
東西600m、南北310m
1周しても2km足らずと大きくはない町ですが
人口は最も多かった江戸時代初期で4400人ほど。
深さが2m、幅5~6mの三重の濠をもつ環濠集落は
外部とは門と木橋で結ばれ
東に3か所、南に3、西に1、乾(北西)に1、北に1の全9か所の出入口。
開門は6時から18時までで夜間は4門のみ利用が許され
防衛のために外部からの来訪は極力減らし
集落内の安全と財産を守るため
厳重な検査があったという。
もし親族などが宿泊したい場合は1泊までで
届け出が必要でした。
門は取り壊されてしまったものの
2001平成13年には「南口門」が復元されています。
行けなかったのが悔やまれる^^;
集落内の道路は
屈折させたり丁字路や桝形を設けたりするなどして
敵の侵入に備えてあるのです。
見通しや
弓矢、鉄砲の射通しを妨げるための備えが
結果として
のちの豪商らの生命や財産を守ることになったのでした。
先述の「今井札」など。
伝統的な建築様式が見られる今井町の民家。
と
いろいろ見たところで
古い町並みへ行ってみます。